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2006年10月15日 (日)

【想い出の赤い電車】流れ星みつけた・・・

【名鉄谷汲線】2001年9月30日廃線・・・・

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名鉄、名古屋鉄道の電車は赤い色をしています。その色がいちばん美しく見えるのは夕暮れと朝焼け・・・

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この線は私鉄のローカル線として鉄道ファンから親しまれてきました。その沿線は緑が多い山沿いと、せせらぎが残る川沿いという季節の移ろいを感じられる場所がいっぱいでした。中でも「更地駅の桜の木」は有名でした。

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そして夜になれば満天の星空!自動車で出かけたときには夜には星空を眺めながら過ごしました。夜明けの始発列車を待ったときもありました。また廃線の前年には「しし座流星群」の観測地にここを選びました!数こそは少なかったですけれど、もう二度と見ることはできない。谷汲線と流星の姿をここで見たかったのです。その願いは・・・今では撤去されてしまった谷汲線の架線とすばるに流れる流星の姿としてフィルムに刻まれています。ここはまさに「銀河鉄道の駅」だったのです。

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そこを走っていたのはモ750形という昭和3年製の真っ赤な電車と、時々応援で走るモ510形という大正15年製の赤と白の電車。特にモ750形は旧名古屋鉄道時代に製造された古豪という言葉がぴったりのものでした。

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製造から間もなくの昭和7年には鉄道省(後の国鉄)高山本線との直通運転が始まったことで、名鉄線は電車で、高山本線は汽車で牽引されて運転され、後の「たかやま」「北アルプス」の先駆けとなりました。その後は名鉄の600V線を転々としながら岐阜線、谷汲線、揖斐線を走りました。

木の窓、リベッドどめの車体、ワックス塗りの床、昔ならではのモーターの音・・・・「昭和」を駆け抜けた電車でした。しかも走るのは四季折々の風景の中・・・冬には豪雪地帯としても有名なところで、雪の中を力強く走る姿は普段ののんびりとした姿が一変、どんな状況でも乗客を運ぶという「意志」を持ったかのようでした。

名鉄に惹かれたのは名古屋の科学館のプラネタリウムへ見学に行ったとき。「新名古屋駅」(現在の名鉄名古屋駅)で奇妙な音を出して入ってくる電車が!!それがパノラマカーとの出会い。そしてJAFの雑誌で見た犬山橋で特急列車と走ったり、支線の赤い電車を追いかけるようになりました。その中でこの谷汲線と出合ったのです。

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カメラの修理もだいぶ慣れて、ミノルタのAR-1もアルファ7000も数台、レンズもたいがいのものは写せるまでにそろいました。天体写真でもこの一度死んだはずのカメラたちは、存分に威力を発揮し、台数の必要な流星撮影などでも出現個数確認や、流星痕の撮影などの成果をあげていました。しかし天体は「バルブ」が使えて、望遠鏡に取り付けたり、レンズもピントは無限にできれば撮影可能。一般の昼間の風景や人物などではピント、露出、絞りなどの様々なことを考慮して、数少ないシャッターチャンスを狙わねばなりません。当時はすでにデジカメが主流になりつつあり、フィルム一眼レフカメラは高機能のオートフォーカスが勢ぞろいしている状況です。私の修理していたミノルタのMDカメラはピントはもちろんマニュアル。AR-1などは露出計さえないので、絞り値、シャッタースピードは全て「手動」です。アルファ7000も単純な風景写真ならオートフォーカス、自動露出可能ですが、逆光や雨、曇天、動きの早い色の差が大きいものでは到底使い物にはなりません。鉄道の雑誌などにある写真など撮影できるものではなく、自分自身も現像が仕上がってみて「やはりダメだった・・・・」と落胆することの繰り返し・・・・

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でも「経験」とは恐ろしいもので、次第にフィルムの感度と露出調整が身についてくるもの。初めは古本屋で手に入れた昔の撮影方法をマネてみたり、グレースケールや古い露出計も使っていましたが、何年か経験していると、「この場所でこの季節でこの天候なら・・・」と何となくわかるようになってきました。その上「このシーンは少し暗めにして表現したい・・・」とか「ピントと被写体をこうしたい・・・」という意図的に調整した写真も撮影できるようになったのです!それもこの真っ赤な夕日の似合う名鉄の色彩と、四季の変化の大きい谷汲線の沿線の風景のたまもの!そして素人ながらも、やっと自分でも「こんな写真を撮影したかった・・・・・・・」と思えるようになりました。

しかしそれは谷汲線の廃線のときでもあったのです・・・・

廃線の話を聞いた時は、いつかは来ることだと思いました。休日は名鉄いちばんのポイントだけに鉄道ファンもいますが、平日の昼間など乗客は私一人だけ・・・文字通りの「ワンマンカー」ということも多い状態でした。廃線の話が出ると多少は鉄道ファンも多くはなりましたが、それでも休日に人がいっぱいなどなく、普段は地元の方が数人程度・・・でもゆっくり写真は撮影できましたし、いちばんは「乗車券」!!今年最後になった、南海、近鉄、名鉄3社線が3日乗り放題の「3・3・SUNフリーきっぷ」を使うのですが、「廃線抵抗」とばかりに谷汲線内は別途乗車券を購入!でもこれがいいんです♪特に「谷汲駅」は自動ではなく【手売り!!】当然のことですが昔懐かしい「硬券」です!当然降りるときにはワンマンカーですから運転手さんの横のきっぷ入れに入れないといけないのですが・・・「記念に持って帰りたいのですが・・・・」と言うと・・・・JRとか他の私鉄でも改札でそう申告すると「使用済」とかの印をボン!と押されて持ち帰りとなるのですが・・・・運転手さん「では裏に列車番号を書かせていただきますね」とペンで列車番号を書いて持ち帰りさせてくれます。。。。。これってすごい【記念!!!】表には乗車駅、区間と日付。裏には乗車した列車番号!乗ってるのが一人のときはもちろん【世界でたったひとつの乗車券】となります!!しかも硬券で!!

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廃線が近くなると、惜しむ鉄道ファンが増えて運転本数も増やし、普段は谷汲山への観光に休日のみ増発し、「北野畑駅」で見えたタブレット交換もファンの格好の撮影対象となりました。ここは単線で「信号」がなく、タブレットで列車の行き違いをしていました。

廃線になるまでにこれだけたくさん乗ってくれていたらなあ・・・・としみじみ感じながらの別れ。廃線の日の谷汲線はすごい人でしたので、ほとんど写真も撮影しませんでした。ここの本当の素晴らしさは「廃線」というイベントではなく、今まで私の写真をずっと鍛錬してくれたこと・・・・それは年々変ってゆく被写体の写り具合に年輪のように残されています。

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想い出は35mmのフィルムの中にもう数多く残されています。もう去ってしまった小さな赤い「銀河鉄道」・・・・でもそこで出会った数多くの星たちは今も私の記憶の中で走り続けています。

プラネタリウム室の日記帳:http://stonekenji.air-nifty.com/nasuka/
那須香大阪天文台:http://www.nazca-osaka.org/

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2006年10月 1日 (日)

青春の【新快速恋物語】

新快速

鉄道ファン「鉄っチャン」はご存知ですね!この列車!
去年の鉄道の日に「リバイバル運転」された117系「初代」新快速車両です!
(それまでも113系や165系がありましたがあれは「転用」ですから(^^ゞ)

でも今回は<純粋な>鉄道ネタではありませんm(。。)m
業界(?)では鉄の男(??)とも呼ばれている私にも短い青春期はあったんです♪
その青春物語、「なすかの青春物語」みたいなものです♪

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20前のとき、神戸でアルバイトしてました。(親にもナイショで!!)
別に特別なこともなかったんですが、普通に働き・・・普通に恋をしていました♪・・・
同じところで働いていた子だったんですが、すごく星が好きという点では一致していたんですが。
最悪なことにケンカ友達でした(><)
とにかく何かあれば口ゲンカ!それをバイト先まで持ち込むんですからもう最悪です!
私も若くて融通の利かないころ(今でも?(^^ゞ)ですし、彼女も気が強くて口達者な方でしたから、お互い衝突すると「虎」と「竜」!でも口ゲンカを2次会、3次会・・としていくうちに、
お互いの本心、若い純真な心と感情、そして愛情をぶつけ合わせていたんですね。
バイトの上の人から、「仕事中やぞ!ええかげんにせ~~!!」っと怒られたこともありましたが、
同僚連中は知っていたものですから、まわりはニヤニヤ・・・・後で「おまえら、まっとうなつきあいしとう~?」って言われる有様でした、たしかに「異常な交際」に見えたでしょうね~^^;

でも夜となれば三宮の駅キタやディスコ(今ではクラブって言いますよね!)、それにBESTはできたばかりのポートアイランド!!【ポートピア】と「ゴダイゴ」の歌で一躍神戸の名所となったそこには観覧車、ジェットコースター・・・・遊びには退屈なんてしません!
夜遊びしました~バイト仲間にステキな彼女!それにどんどんにぎわう神戸の町並み・・・・
ほんと気軽に、休みの日にはどこ行こうか?夏には須磨海岸、冬には六甲山!デートスポットはいくらでもありましたし♪仲間たちとみんなで西宮浜で焼肉たらふく食ったり!
お互いの彼氏、彼女自慢やグチ言い合い・・・・普通の青春ドラマでしょうね~

まだ有馬のほうはそんなに明るくなくて、三田の方まで足を伸ばせば星空もけっこうきれいでした。
そんな感じで昼に、夜に、街も星空も輝いて見えました。
天の川を見に行きたくて、車がなかったんで、夏には一晩、少し寒い山の中で過ごしたり。
でも好きな女の子と一晩過ごせるチャンス!寒いなんてぜ~んぜんって感じでしたが^^;
確かにそれまでも星が好きだった私は、いつしかそんな楽しい日々と星空にすっかり入り込んでしまったんです。
普段は阪神電車で通っていたんですが、ちょっと楽しみなデートや、待ち合わせの時間に遅れたときなんかは値段の高い国鉄の新快速を使ってました。想い出にあるのはデートに待ち合わせのときに、またまたこれ運悪く、地下鉄車内で、降りるところで突然転んだおばあちゃんにつきあって、駅長室と救急車まで・・・・1時間近くの大遅刻!!当時は携帯電話なんて気の利いたものなどあるはずはなく、デートの遅刻で「ハイッ!さよなら><」という悲劇も多かったときです!「阪急じゃさらに大遅刻!乗り換えも遠い(><)!」ということでこの「新快速」の出番☆となったのです。。。ハラハラドキドキの車内でしたが、センター街の入り口で微笑む彼女の口から出た言葉は「大丈夫だった?」・・・・・今では考えられないのんびりデートだったのかもしれませんね(^^ゞ
なにせ30分ノンストップで三宮ですからそれは超特急モノです。内装も当時は特急列車並みの117系、新快速のためだけに作られた当時としては異色の車両です。
大阪~三宮だけのちょっとリッチな気分でもありました・・・・・

しかしその新快速を終着駅まで乗る日がきたんです・・・・
あまりにも突然でした。

あの日の電話は、いつもの同僚で遊び友達の声・・・・
でも泣き声がただ聞こえるだけでした・・・・
どうした?どうした?何度たずねたか覚えていません。
ただ彼女が事故で死亡したことを、搾り出すような声で聞き出せただけでした・・・・

「また」、別れの言葉ひとつかけることができませんでした。
それまでに友人二人を亡くしていた私には何も考えることもできず、ただ空洞になった思考があるだけ。何もできなかった・・・・後悔、虚無感だけが残されます。
そしてその空洞を埋めるために、すべてを捨てることにしました。
同僚や仲間たちには感謝していましたが、私には「今の自分の存在」そのものが忌まわしいものだったのでしょう。
慰め、励まし、同情・・・・数多くの言葉ももう私を止めることはできませんでした・・・・
死ぬことも、生きることもできない運命と多すぎた突然の別れ・・・・
ただ彼女の両親の手と「ありがとう」の言葉だけが唯一、氷のような私の心を暖めてくれました。

そしてもう一度あの新快速に乗る決心をしたんです。
今度は終着駅まで、そしてその先まで、行けるところまで・・・・
帰るところの無い旅であることは覚悟していました。そして行くところも・・・・
行く先を導くのはカバンの中の1本の小さな天体望遠鏡。

大阪駅を出るとすぐに六甲の山が見えてきました。
楽しい冬を過ごし、今では彼女の眠る六甲の山。
最後まで届かなかった「ありがとう」の言葉がめぐる二つの瞳・・・
あまりにも早くに星になった仲間たちを求めるように、
「新快速」は西に向かって走り続けました・・・・

・・・・・那須香始動にはまだ5年の月日が必要でした。

プラネタリウム室の日記帳:http://stonekenji.air-nifty.com/nasuka/
那須香大阪天文台:http://www.nazca-osaka.org/

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以前のブログからの転載記事です。これからちょっとした書き物をここに書いておこうと思います^^;

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